天聲人語:沖繩

天聲人語:沖繩

2012年5月15日(火)付

 いわゆる「てにをは」の使い方で意味はがらりと変わる。沖縄の集会を取材して、あらためて距離を感じたのは13年前だった。米軍普天間飛行場の県内移設に反対する1万2千人が「沖縄を返せ」を合唱した。かつて祖国復帰運動の際、沖縄と本土のへだてなく連帯を託して歌われた歌だ

13年前,曾因採訪沖繩的集會,而重新感知到沖繩與本土的距離。集會上,反對美軍普天間軍用機場在島內遷建的一萬二千人合唱「還我沖繩」,這在過去重歸祖國運動時,是表達沖繩和日本本土一衣帶水之情而唱的歌。

▼歌は末尾で「沖縄を返せ 沖縄を返せ」と繰り返す。ところが会場では「沖縄を返せ 沖縄に返せ」と歌われた。「を」が「に」に変わっただけだが、そこにはもう沖縄と本土の連帯感はない

這首歌的末尾,本是「還我沖繩!還我沖繩!」的疊唱句,但會場上唱出的卻是:「還我沖繩!還給沖繩!」一字之差,其間那種沖繩和本土的連帶感已杳然無存。

▼代わりに、島を自分たちに返せという、決然とした抗議があった。本土の記者として、歌声に縮こまった記憶は苦い。そして今、沖縄の不信は消えるどころか尖(とが)り、基地の押しつけを「差別」ととらえる意識が広まっているという

取而代之的,是「把沖繩島還給我們」這種毅然決然的抗議之聲。作為本土來的記者,聽着歌聲恨不得想找個洞鉆進去的那番記憶是令人痛苦的。而如今,沖繩對本土的不信任感不但沒有消失,反而更尖銳扎人,強加美軍基地給沖繩是一種「歧視」,這種意識已深入人心。

▼本紙などの世論調査に、沖縄の2人に1人がそう答えていた。「いま沖縄は氷のように冷たい目で本土を見ている」と沖縄に住む作家仲村清司さんは言う。まなざしは「無関心という加担」への抗議にほかなるまい

本報民意調查中,沖繩居民每兩個人就有一個作這樣的回答。住在沖繩的作家仲村清司說:「如今的沖繩以冰一般冷峭的目光看着本土。」這目光,無疑是對「冷漠的重負」的抗議。

▼沖縄の本土復帰からきょうで40年になる。さる4月28日は、講和条約の発効で沖縄が日本から切り離されて60年の日でもあった。「屈辱の日」の呼び名が今も残るのを、どれだけの人が知っているだろう

沖繩的回歸祖國運動到現在已有40年。而去年4月28日,正是和約生效沖繩從日本分割開去的60周年紀念日。「國恥日」的稱呼至今猶存,知者幾人?

▼「押しつけ憲法とか言ってますがね、沖縄はその憲法、押しつけてももらえなかった」。旧コザ市の市長だった大山朝常(ちょうじょう)さんの怒りが耳によみがえる。誰もが無関係ではありえない、島の歴史と今がある。

「都說被強加的憲法,但沖繩就連這樣的憲法也欲被強加而不得。」原KOZA市市長大山朝常的怒吼重響在耳邊。沖繩島的歷史和現在,並非與我們漠不相干。

よく訳されていると思います。

いわゆる「てにをは」の使い方で意味はがらりと変わる。 -----完全に訳漏れで、わざとですか?
譯成漢語也沒有意義,所以不譯
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随心学


 かなり古い時期から、大陸の仏教(大乗仏教)は朝鮮半島を経由して伝えられて、渡来人を中心に民間に広まっていたが、公式には欽明天皇の代(538年ないし552年)とされる。その後、蘇我氏などの崇仏派と物部氏?中臣氏などの排仏派の争いがあったが、聖徳太子によって仏教の受容が確定し、日本に仏教が根を下ろすことになった。特に、「法華経」の持つ多くのものを円融的に総合するその一乗思想は聖徳太子の「わ(和?輪)」の思想となり、また「維摩経」などの持つ在家仏教の性格は、僧俗一体の菩薩道といった姿に展開し、日本仏教の顕著な